こんばんは!
時計も見ずに ドラマを観ていたら
こんな時間になっていてビックリΣ(゚Д゚)!
慌てて 更新です。
今ちょうど 終わりに近づいてきて
主人公の認知症が 進んできたところでした。
う~~ん
厳しいですねぇ~
大分 人格も変わってきて
ハラハラしながら 観ていました。
認知症とわかって意識がある以上
こんなに苦しいものだと
改めて感じました。
かなり進行してしまうと
ほとんどの事を忘れてしまう
病気だと思いますが
ある意味 死への恐怖心さえも
わからなくなることは
悪い事ではないのではと
思っていました。
まぁ それは聞いてみないと
わからない事ですが・・・
私はこうして毎日 更新をしている
訳ですが 言葉を選び 単語を並べ
文章を考える ・・・
流れがおかしくないかと読み返し・・・
その作業の日々。
その繰り返しで こうして今日を
迎えているのですが
ブログをしていなかったら 果たして
こうして文章を書けていただろうか
と 昨日 考えてしまいました。
多分 書けないだろうなぁ~
というのが 本心です。
考えたことを文章にする
相手にわかるように伝えたい
しかし なかなか ピッタリの言葉が
見つからず パソコンを打ちながら
スマホで 言葉の意味や 漢字
使い方を調べる事もザラです。
果たして 脳を使っている人は
認知症のならない?
では 大学の偉い教授は
ならない?
難しい研究をしている学者さん
お医者さんもならないのかな~?
まぁ それがわかれば
ノーベル賞ものでしょうけど。
以前はあまり 深く考えることなく
文章を書いていたような気がしますが
今は 結構調べたりすることが
多くなりました。
普段使ってないと 出てこないからです。
これも立派な脳の萎縮でしょうか?
長生きすればするほど
脳も老化して 萎縮していくものだと
認識していますが それは
個人差で変わってくるのでしょうね。
私の母の場合は 90歳を超えたころから
形に現れてきました。
同居した時は 86歳。
(まさか 100歳超えるとは・・・)
家事 料理を担当してくれて
認知症の傾向は感じられませんでした。
とても元気でしたし 見た目は
もっと若く見えましたね。
それが 徐々に進んでいき
母をひとり家に残して 仕事に
行けなくなり 辞める事になったので
正直 母を看取った後の
自分の生活に不安を感じていました。
当時は 50代後半で
年収300万近い収入があったので
辞めるのは 本当に忍びなかったのですが
母の進んでいく病には 代えられません。
毎日 家が火事になるのではと 仕事中
頭をよぎって 精神的にももう限界でした。
でも 最期は特養施設でお世話になり
102歳まで 長生きさせていただきました。
自分でも 多々後悔はありますが
最低限の出来る事はやってかな~という
思いです。
認知症の自宅介護は 限界があります。
しかも ひとりで抱えきれるものでは
ありませんでした。
今思えば 母をデイサービスに
行ってる間 近くの飲食店でパートに出て
母が帰る時間に戻って その後ずーっと
母を看て 夜明けに起こされ・・・
そんな生活が結構 何年か続きました。
そうそう その時期 19歳高齢犬のジュンの
介護もあり 今思えば よくやっていたと
思います。若かったという事でしょうかね。
今 ドラマを観て感じる事。
それは 認知症になった本人が
とても辛いという事・・・
その事を ちゃんと理解していたか
自分の辛さ 切なさ 悲しさばかりで
いっぱいになり 日々進んでいく症状の
母の辛さ 悲しさを受け止めて
いなかったのではないか・・・と
ドラマを観ながら 胸が締め付けられて
何度も泣きました。
このドラマの最後は どうなるんだろう?
ヤバい!
こんな時間になってしまいました。
明日は仕事なので 寝なくちゃ~!
ごはんを待ってるよもむぎ。
ごめんごめん!
一気に食べます!
食べた後は・・・
ジャンプ!
天井に近いから 暖かいのかな~
では 今日はこの辺で終わります。
また 明日お会いしましょう~
おやすみなさ~い!
(@^^)/~~~
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