認知症の母と過ごした日々・・・

こんばんは!

 

やっと ドラマの最終話が終わり

疲れた・・・

いつも感情移入してしまうタイプ

なのに 今回は母の事 

自分のこれからの不安などが

相まって・・・しばらく 

尾を引きそうです。

 

最終的には お墓参りで終わるのですが

そこまで どんどん悪化して

認知症が進み 壮絶な生活

地獄のような日々・・・

 

あんなに 知的で美しかった妻が

人として壊れていく姿に絶句。

心から愛して 献身的の尽くしてきた夫の

「辛すぎる・・・」と涙を流すシーンに

号泣してしまいました。

 

未だに 悲しくて悲しくて・・・

ドラマを思っては涙・・・

母を思っては涙・・・

 

まぁドラマだから 美男美女の

共演により より悲しく 切ない

物語にはなっているんだけど

決して 絵空事ではなく

家族が 認知症になるという事は

こういう事だと 思いました。

 

私は10年間同居して 

施設に入居するまでの4年間は

母の認知症と共存しました。

 

ケアマネさんの説明だと家族が

同居の場合 施設への入居は

時間がかかるという説明でした。

その時で 母の前に140人ほどの

待機者がいたのです。

 

だから その順番を待っていたら

多分 死ぬまで私が看るんだろうと

思っていました。

 

それが 奇跡的に入居できたのですよ~!

話せば 長くなるのですが

実はその頃 私はパートで飲食店に

午後3時まで勤めていました。

 

そして その他にシルバー人材センターから

仕事を紹介されていて(3年前から)

週に2回 小さな子どもが二人いる家庭の

夕食を作って 届ける仕事もしていました。

 

正直 これが重なると大変でした。

仕事から急いで帰り終 3時半ころ 

デイサービスから戻ってくる母を

迎え 母の夕食の準備と 届ける料理を

作り 5時には地下鉄に乗って

その家族のもとへ 夕食を持って準備をして

食べさせ 片付けて帰ってくるという仕事。

 

そんなある日

私が勘違いをして 休みの連絡を

もらっておきながら 忘れてそのお宅まで

行って気が付くというミス。

 

料理も作ってあるので 勿体ないないし・・・

それで 仲の良かった友達へ電話をして

一緒に食べてもらう事にして

また 地下鉄で友人宅へと向かいました。

 

リュックに入れた料理。

すぐ食べられるようにしてありました。

 

駅について すぐ近い友人宅。

信号を確認して 一歩を踏み出した瞬間

車道と歩道の段差を踏み外してしまったのです。

当然 車道側に倒れてしまいました。

ふと 後ろを見ると バスが見えました。

 

ヤバいと 立ち上がった時 足に力が入らず

2語目の転倒。前から転んで 額を殴打!

近くを歩いていた人に 抱きかかえられ

とりあえず 反対側に歩道に移動。

救急車を~と言われましたが そこから

友人に電話をして来てもらいました。

 

そして 夜間病院へ。

誤診で”肉離れ”と診断されて 家に帰り

足を引きずりながら 湿布の日々。

 

一週間が過ぎたころ 薬がなくなったので

近くの整形外科で診察を受けたら

第一声が 「切れてますね・・・」

「はぁ~~~?!」

「アキレス腱が切れていますので

病院を紹介しますので すぐタクシーで

行ってください」

 

晴天の霹靂・・・

ランちゃんは近くの友人が預かって

もらえる事になり 本当に助かりました。

即入院。

2日後に手術。

入院期間2ヵ月・・・!

 

それで 母ですが・・・

事情を言って 急きょショートステイ

いうことで 母も退院するまで

預かってもらう事になりました。

 

そして 退院が近づいたころ

施設からのお話で

「11月1日で お部屋に空きができました

このまま 入居されますか?」という連絡が来ました。

 

退院は決まったものの まだ完全に

歩けるわけではなく 松葉づえ状態。

それで 施設の方で 私が母の介護が

できるかどうかを判断 入居の緊急度を

考慮してくれたのだと思います。

 

それで 待機者が140人越えから

一気に入居が決まったのです。

母には 申し訳なかったけど

本当に助かりました。

 

なので 母はまだ わかってる部分も

あったので ケガをして入院と伝えたら

「アンタ そそっかしいから

気を付けなさいよ~」という言葉が

残っています。

 

母は急な私の入院で ショーステイから

入居になり 手続きが済みました。

本当に申し訳ないと思ったのは

まさか そういう事情だとわからない母。

 

「私もそろそろ 帰らなきゃねぇ~

いつまでもここに世話になってる訳には

行かないからね~」

「母さん もう少し待ってくれる?

まだ 足がちゃんと治ってないから

もうちょっと ここにいてね・・・」

「・・・・(無言の母)」

 

帰りたかったでしょうねぇ

でも しばらくしてからも

「帰らなきゃ~」と言うので

「どこに 帰るの?」と聞くと

黄海でしょ・・・」

 

黄海(きのみ)は 母が生まれ育った岩手県

やはり 母の帰る場所は生まれたところ

だったのですね・・・

 

母と私と子どもが小さい時に写した

写真を大きく引き伸ばし 

薄い発泡スチロールに貼って

マジックでメッセージ。

「他の事は 忘れてもいいけど

私の事は 絶対忘れたら ダメだよ!」

 

なのに・・・

見事に 忘れられてしまいました(苦笑)

 

100歳で 右の大腿骨骨折 入院 手術

101歳で 左の大腿骨骨折 入院 手術

施設に 無事生還して戻りました。

 

認知症になる前の元気な母の姿認知症になってからの母の姿

思えば思うほど 切なくなりますね。

 

母の認知症を通して この病気を

身をもって教えられた気がします。

最期の母から 学んだ事です。

 

でも 自分も認知症になったら

忘れてしまうから なるべく 早め

早めの行動を心がけるね。

せっかく学習しても 生かせなかったら

意味ないものね( ´艸`)

 

本当にこれだけは 誰にも先の事は

わからない・・・ガンや心臓病も脳梗塞

怖いけど たまたま観たドラマで

認知症の怖さを改めて 感じました。

同時に ここ1週間 母の事 

ずーっと思い続けた日々でした。

ダメだ・・・泣けてくる・・・

 

 

今日の料理です。

春巻きと豆腐サラダ

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むぎのご飯のお替り 催促。

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寝る子

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箱が好きな子

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 私の長い長ーい文章に

お付き合いくださり ありがとうございました!

 

すごい!

2500文字を超えた!

 

では 今日はこの辺で終わります。

 

 また 明日お会いしましょう~

 

おやすみなさ~い!

 

 (@^^)/~~~

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